2006/04/15

パキスタン地震災害緊急支援活動報告

聖マリア病院国際協力部  山崎 裕章

はじめに

平成17年10月8日現地時間8:30にパキスタン北部を震源地とするマグネチュード7.6の地震が発生し、200万人以上が被災し、7万人以上の方々が犠牲になりました。

パキスタン地震で倒壊した家(山にすむ人の家)NPO ISAPHと聖マリア病院は地震発生後の10月14日から医療支援チーム(聖マリア病院職員3名:医師 2、看護師1)を現地に派遣させ、①医療支援活動に貢献できるところの判断、②災害時医療支援においてISAPH/ 聖マリア病院の取り組み方、の検討を行いました。結果としてISAPH は、既に現地(日本の緊急援助隊医療チームが活動していたバタグラム地区)で医療活動を行っていた日本のNPO HuMA(Humanitarian Medical Assistance)と連携を行うこととし、聖マリア病院と東京女子医科大学に人材の協力要請を行い、平成17年11月13日から11月26日まで、5名(聖マリア病院から国際協力部浦部大策(医師)、山崎裕章(ロジ)、看護部田中準一(看護師)、小石原理子(助産師)と東京女子医科大学国際環境・熱帯医学教室から櫻井美樹(医師))を派遣し医療活動を行いました。

この度、当ニュースレターへの医療活動を報告する機会を得ましたので、上記派遣者のうち、3名(田中、小石原、山崎)にかかる活動報告を致します。

活動報告

看護業務(看護部 田中準一)

看護業務にかかる活動は、HuMA と合わせ看護師が4名派遣されました。このことから役割分担を行い、内科、外科、婦人科、トリアージの担当、また薬剤師の派遣がなかったために、薬品の管理や受け渡しも行いました。トリアージ担当看護師を配置したものの、災害急性期を過ぎたこともあり、判断を急ぐような被災者は受診せず、受付係に近いような状況でした。診療は、テント内で行われ、限られたスペース、診療器具、またここで用いられていない医療技術(煮沸消毒、薬液消毒)、市販品の活用など今までの看護業務での経験が無い内容であり、当初戸惑を感じたが、災害医療の経験豊富なHuMA 派遣の医師や看護師から指導を受けどうにか診療活動を終了することができました。私は外科を担当しました。患者の多くはギプス固定された骨折の経過観察でした。骨折の治療で使用されるギプスシーネは、日本でも馴染みの深いものであるが、日本ではグラスファイバー製のギプスを使用しているのに対し、現地では未だ石膏のギプスが主でした。しかしグラスファイバー製のギプスで固定された患者が来所したことから、その切除でまた新たな戸惑いを持ちました。それは、診療所には石膏用のギプスカッターはありましたが、グラスバー用はなく、石膏用で試みたが切断できませんでした。診察した医師が、糸鋸を探しだし、これを用い長時間を費やしどうにかギプスを切除できました。医療資機材の選定には、現地の医療事情を考慮しなければならないと痛感させられました。

文化や言葉の壁も活動する上で大きな問題と感じました。特に言葉は日常的な会話のレベルでなく、医療の専門用語が必要となるため、一般人である通訳に医療専門用語の通訳をしてもらうことには限界があり、病歴聴取をする上でも十分な情報を得ることができないと感じました。

途上国での災害医療支援では、医療資器材の選定には慎重でなければならないことを感じました。また、医療技術も日本で過去に行っていた手技や方法が役立つことからそれらに関する知識を学ぶ必要もあると感じました。

今後は、機会があれば、国内外を問わず災害医療の現場で経験を積むようにし、災害時には即戦力となれるように自己研鑽を続けていきたいと思います。

現地の女性の立場(看護部 小石原理子)

「女性患者のケアに当たる女性スタッフのニーズが高い」とのことにて参加させて頂いたが、テント診療所で1日目、2日目と過ぎるうちにターゲットのはずの女性患者に出会えないことにまず気づいた。人でごった返している商店街でも全くと言って良い程、女性を見かけなかった。これは宗教的習慣(女性を外敵から守るという、女性は常にベールで全身を被い、外出をしない。夫以外の男性に姿を見せてはいけない)によるもので、特に医療活動を行っていた地域は規律が厳しかった。女性は家事をしながら農作業に従事し、この辺りでは(男女に限ったことではないが)誕生から死までが山の上の自宅で、というケースも珍しくないらしい。たまたま出会った「10経産の11人目出産褥婦」のように多産の傾向は強く、国際機関を通じて発表されている保健統計と併せてみるとやはり「多産多死」傾向と言えそうである。小学校から男女別の場所で教育を受け、成人識字率でみると女性は男性の半分ほど。活動中、その地区の言葉しか話せず公用語のウルドゥ語が通じない女性の診察には「二重通訳」を必要としていた。

パキスタン国内でも地域差はもちろんあるが、今回の活動地バタグラムはいわゆる僻地に当たり、伝統的・宗教的習慣が厳しく守られている地域と考えられる。災害弱者と言われる女性にとって、交通アクセスの悪さや伝統習慣による制約は震災という状況に更に援助の手を届きにくくする悪条件が付加したことになる。短期間の災害援助という初めての経験で周囲の足手纏いにならないのに精一杯だった感もあるが、その国の文化を尊重しつつ女性の健康を守ることの難しさを改めて考えさせられる派遣だった。

ロジスッティクス(国際協力部 山崎裕章)

災害医療活動でのロジスティックは、私としては初めての経験であった。派遣時期が被災1ヵ月後であり、診療施設もある程度設置され、被災民も落ち着きを取り戻した時期であったことから、患者が診療所に殺到するようなことはなかった。このことから診療所にかかるロジ業務は少なく、主に活動メンバーの生活支援(ロジとしての業務は殆どない)を行った。それらの内容としては、①診療所(エアーテント)の管理、②車両の確保、③生活用備品(暖房用ガス等)の調達と管理、④生活環境の整備(掃除、簡易加湿器の設置等)⑤食事の準備であった。

現地での生活は、予想以上に厳しいものであった。現地は初冬の時期であり、気候は昼間暑く(25度)、夜間寒く(0度)、また乾燥が酷く湿度40% の状況であった。このような中、メンバーの就寝は、野外に夏用の薄いテントを張り、簡易ベッド(50cm x 200cm)または地べたに防寒用アルミシートと毛布(上下に敷く)敷き、寝袋の2 重やホカロンを使用し、やっと眠れる状況であった。夜間はテントに降りた露は凍っていた。またシャワーやお風呂を取る施設もなく不衛生な状況が続き、診療所に訪れた患者には疥癬症が多かったことから、メンバーにもその感染が起きることも懸念されたが、幸い感染は起こらなかった。食事は朝食・昼食はレトルトパックによるご飯、缶詰(魚)で、夕食は現地の人に依頼した食事(カレーとご飯)であった。

今回の派遣を通じ、ロジには2種類があると考える。1つは、チームの主たる活動(診療)を支えるロジ、もう1つはチームメンバー全員の生活を支えるロジである。活動を支えるロジとしては人材(通訳、現地医療従事者)の確保、必要な資機材(医療器具、医薬品、文房具、車両等)の調達、関係機関との交渉等の業務が挙げられる。そして、生活を支えるロジとしては、食事の準備等を含む生活全体等今回私が担当した一部業務が挙げられる。

災害援助活動でのロジ業務ついては、国連人道援助、国連高等弁務官等でもロジを専門職と位置付け、その人材育成を行っている。業務は地味で目立たないが、その存在は大きいことを認識させられた。

謝辞

パキスタン北部地震災害医療活動の機会を頂きましたNPO ISAPH 小早川隆敏理事長、活動への参加を了承して頂きました聖マリア病院井手義雄理事長に感謝いたします。また活動に当たりサポートを頂きましたNPO ISAPH 職員ならびに聖マリア病院看護部、国際協力部の皆様方に感謝いたします。